みるくはうす  NOⅠ  2005年ーiwaki 
 
★X-JAPAN,GACKT,B'z、ets・・・・(Камень снегグループ)Ⅱ(みるくはうす)2005年
 



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XJAPAN ハリウッドで5億円PV製作

XJAPAN ハリウッドで5億円PV製作 


 ロックバンド「X JAPAN」のリーダー・YOSHIKI(年齢非公表)が10日(日本時間11日)、米ロサンゼルスの自宅で、現在進行中の本格的な米国進出への思いを明かした。世界進出を目指し、米ロックフェラーセンターで記者会見を開いてから18年。一度は断たれた夢に向かって、X-はこのほど、米ハリウッドで総製作費5億円をかけた“ハリウッド級”の海外向けPV撮影を敢行。ハリウッドのメイン通り沿いのビルに特設ステージを設置してパフォーマンスを行うなど、全米に向けド派手なあいさつをぶちかました。

  ◇  ◇

 「ここまで来るのに本当にいろんなことがあった。(ハリウッドでのPV撮影の)ステージからも『今日は(米国での会見にいた)HIDEも一緒だったよ。(HIDEを入れた)6人だから』って言ったんです。ジーンとしてしまって…」。 積み重ねた歳月が、頭に浮かんだのだろう。冷静なYOSHIKIが口調を乱し、あふれ出る涙を止められなかった。

 全米進出を目指し、記者会見で米タイム・ワーナー(当時)との契約を発表したのが1992年。バンド名も「X」から現名に変えた。だが、レコーディングの遅れなどからCDの世界発売を断念。そして解散、HIDEさんの急逝。再結成、そして悲願の全米進出へ-。紆余(うよ)曲折を経て、18年越しの夢は、やっと手の届くところまできた。

 全米進出への足がかりとして、X-は米ロスで総製作費5億円をかけた新旧5曲の海外向けPV撮影を敢行。その一環として、米アカデミー賞の授与式会場でもあるコダックシアターの入る複合ビルの4階に、特設ステージを設置。同所史上初となるパフォーマンスを行った。

 現X-のメンバー5人と“6人目”の故HIDEさんの愛用ギターが登場すると、蛍光ライトを交差させ「X」型を作った全米各地のファンや観光客8000人から大歓声が上がった。

 昨年7月に頸椎(けいつい)の外科手術を受けたYOSHIKI、同年10月にろっ間神経痛による長期休養を宣言していたTOSHIは、ともに休養後、初のパフォーマンス。7時間近くも目の前のハリウッド大通りの車線を半分に交通規制するなど、米国への名刺代わりにハリウッドを“ジャック”してみせた。世界を目標にバンド名に「JAPAN」を背負った“6人”の夢。実現はもう目の前だ。



2010年1月21日(木)21:51 | フリー | 管理

TOSHI からのメッセージ

TOSHIからの
メッセージ





皆様へ
 

先日、一部マスコミにおいて離婚報道がありましたが、そのことも含めて、この12年間について私の感じたままに正直にお伝えしたいと思います。


1、これまでの12年間について
1998年よりこれまで12年間活動してきましたが、その間、実質上所属してきた株式会社ホームオブハート、株式会社ヒーリングワールド(ホームオブハートと実質同じスタッフの一連の会社)に私の活動のすべての売り上げのお金が渡っていました。
これまで、非常に過密なスケジュールの中で、一日も休むことなく働き続けてきましたが、仕事上のごくわずかな必要経費以外、コンサートのギャラも給与も生活費もXJAPANからの収入も含め、すべてのお金が私には一切与えられていませんでした。
働いた多額のお金は今日にいたるまですべて持っていかれてしまいました。
実際の生活費は、私の友人、知人に個人的に援助を受けて生活してきました。
今回、病に倒れたときですら、知人に援助を受けるすべしかなかったのです。


2、株式会社トシオフィスについて
私が代表者である(株)トシオフィスも、実質的には(株)ホームオブハートの経営の中にあり、私には経営や経理を含めた権利はなにも与えられていませんでした。
毎日働いたお金のすべてを、守谷香氏(妻)や(株)ホームオブハートや(株)ヒーリングワールドに渡していたにもかかわらず、詳細のわからない間に、私自身に莫大な税金と借金が課せられました。
これまで私は(株)ホームオブハートのために無償で働くただの従業員に過ぎなかったのです。



上記のようなつらい生活を続けてきたのは、12年前に心病んでいた私が、プロデューサーのMASAYA氏や守谷香氏(妻)に出会い、「救われた」となぜか思い込み続けてしまったからです。


これらのことについて、これまで長い間本当に悩み続け、心身ともに疲れ果ててしまいました。


3、守谷香氏(妻)のこと
10年前から、実質的には夫婦ではありませんでした。
仕事場でごくたまに会う以外、守谷香氏(妻)の生活は実際のところまったく知りません。
守谷香氏は、私との家庭生活よりもMASAYA氏と共に暮らすことを選び、これまで毎日、現在に至るまで10年間、那須で生活しています。
私は、東京都港区芝にあるマンションの小さな部屋で、一人で暮らしてきました。
この度、形ばかりとなっていた守谷香氏(妻)との婚姻関係を解消するため、妻に対する離婚調停を申し立てました。
実際はそうではないのに、守谷香氏のブログで、二人で仲良く暮らしているかのような嘘の文章を掲載されたり、デュエットなどの活動を押し付けられていた、すべての偽りが精神的な極度の疲労となっていました。


4、裁判について
私自身は、那須にある(株)ホームオブハートには10年ほど前に一度だけ、那須にある(株)トシオフィスにもこの10年間で3~4回立ち寄っただけで、(株)ホームオブハートや(株)トシオフィスでどのようなことが起きていたのか、まったくわかりませんし、裁判内容に関しての事実も知る由もありませんでした。
これまでいくつかの民事裁判が行われ、ニュースになるときにはいつもTOSHIの名前が出され、この件に巻き込まれたことを悩み、心痛んでいました。


5、現状について
私はこのような現状の中で、やむを得ず自己破産の申立をし、破産宣告を受けました。
現在進行中の破産手続において、私にはわからなかった、(株)ホームオブハート、(株)ヒーリングワールド、(株)トシオフィスに関する一連の、私にとって不透明な金銭や経理が明らかにされることになると思います。私としては、国の機関による真実の解明にすべてを委ね、誠実に協力したいと思います。


これまで長年にわたってだまされていたことからやっと目が覚めた気持ちです。

以上のような真実について、長い間本当のことを話せずにいたこと、また押し付けられていた毎日長時間にわたる過酷な労働が、心身ともに苦痛となり、積もり積もって今回の病気になってしまいました。


これまでの言動やブログの文章等で、仕事のためやむを得ず、自分の意思とは反して偽りを伝えたことも皆様にお詫びいたします。



今まで44年間生きてきた中で、この2か月半の間が一生分以上に大きな時間でした。
この間じっくり考え抜き、本当に大切なものがなんなのかを知り、ここで人生の再出発をしようと決意しました。
この思いを生涯忘れることなく、これからはささやかでも、嘘のない自分の生活を送っていきたいと思います。
これまで私を応援し支えて下さった皆様、本当にありがとうございました。
これからのTOSHIをどうか見てください。

                      


2010年1月17日 TOSHI 



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